現代版 晴耕雨読

【晴耕雨読】〘 名詞 〙 晴れた日には外に出て田畑を耕し、雨の日には家にこもって読書をすること。悠々自適の境遇をいう。(精選版 日本国語大辞典, 小学館国語辞典編集部編,  小学館, 2005年)

しとしとと、あるいはザーザーと、京都も梅雨らしく雨の日が続いている。

そんな時は、この「晴耕雨読」のなかの「雨読」を堂々と楽しめる、少し特別な時間だ。

現代を生きる私たちは、天気に左右されることなく日常生活を送っている。雨が降ろうとも学生は学校へ行き、大人はそれぞれの仕事を果たす。たとえ田畑を耕す職業に就いていなくても、私たちは日々、社会の中で誰かのために実りを育む「晴耕」に励んでいるのだと言える。

もしも一年中が晴れだったら、私たちはいつ休めばいいのだろう。ずっと畑を耕し続けていては、心も体もいつか干からびてしまう。

だからこそ、この雨の季節には、日常をスローモーションにするための「スイッチ」が出現する。

普段の晴れた日なら、家事をこなしたり、アクティブに外出したり、目まぐるしく社会とつながったりと、忙しく「耕して」いる。そのペースをあえて落とすスイッチを押すかどうかは、その時次第だ。けれど、ひとたびオンにしたのなら、その日は思いっきり自分だけの「雨読」の日になる。

「雨読」といっても、何も読書に限った話ではない。音楽を楽しんだり、映画を観たり、クッキングやハンドメイド、ルームエクササイズに汗を流したり。家の中でできることは、実にたくさんある。

雨の日の空気は、どこか特別だ。まるで水の中を歩いているような、あるいはもう一枚、透明な服を身に纏っているような感覚。その静かな世界は、外に向いていた目を自分の内側へと向けさせてくれる。「雨読」の行為は暇つぶしではなく、立ち止まって自分自身を眺めるための時間にもなる。

下鴨アカデミーでは、6月の初めに漬けていた梅シロップが完成し、先日から夕食のテーブルに登場し始めた。梅雨の湿気を払いのけるような爽やかな空気が食堂に満ちている。

雨続きでもやもやと元気が出ない日があっても、梅雨が明ければ、あのキラキラとした日差しとともに夏がやってくる。京都の厳しい暑さを乗り越えるためのパワーを、いまはこの穏やかな「雨読」の時間で、静かに、たっぷりと蓄えておきたい。